日本の昔と今とこれからをクラフトビールを通して再発見する「JAPANESE BEER ODYSSEY」。日本文化を縦横無尽に醸す旅の先でどんなクラフトビールと出会うのか…ここJBO GUIDEでは、オトモニオリジナル銘柄のテーマとなった文化をより深く掘り下げてご紹介していきたいと思います。
【苦味百鬼夜行】畏れから粋へ!江戸に花咲く妖怪文化
JAPANESE BEER ODYSSEY第11弾の銘柄は「苦味百鬼夜行」。
夏と言えば怪談、ホラー!ということで、鬼や妖怪の群れならぬ、ホップの群れがぞろぞろと駆け抜けていくような、苦みたっぷりのダブルIPAを造りました。
古くはゲゲゲの鬼太郎からはじまり、妖怪ウォッチ、鬼滅の刃など時代は妖怪ブーム。どこかしらで目にする機会が多い妖怪ですが、いつからこんなにも市民権を得たのか……今回は知っているようであまり知らない、妖怪の昔と今についてご紹介していきたいと思います。
畏れの心から生まれた妖怪たち
「妖怪」という概念が生まれたのは遥か昔。まだ科学技術が発展していなかった時代、人々は洪水や土砂崩れなどといった、人知の及ばない現象を「もののけ(妖怪)による仕業」と考え畏れていました。大自然の脅威や疫病、真っ暗な闇の気配……それらに対する「不安な心」が「もののけ(妖怪)」のはじまりだったのです。
そんな妖怪たちは中世に入ると、絵として絵巻作品に描かれるようになります。妖怪たちは奈良時代の「古事記」や「日本書紀」にも一部登場しますが、それはあくまでも文字で書かれたもの。この時代の「付喪神絵巻」や「百鬼夜行絵巻」といった絵巻物で、具体的にその姿が可視化されるようになりました。
しかし絵巻物はひとつひとつ手書きで描かれており、とても高価なもの。それ故、鬼や妖怪の姿は、絵巻物を手に取ることができる、ごく一部の高貴な人々しか見ることができないものでした。
この時代の人々にとっての妖怪は、畏れ敬う対象でありつつも、漠然としたイメージしかない、そんな朧げな存在だったのです。
妖怪一大ムーブメント!江戸時代
そこから数百年の時が流れて江戸時代。この時代に妖怪は大きな転換点を迎え、そして一大ブームとなります。現代まで続く妖怪ブームのはじまりとも言えるであろう、江戸時代の妖怪文化について、湯本豪一記念日本妖怪博物館 (三次もののけミュージアム)学芸員の伏見由希さん(以下伏見さん)にお話をお伺いしました。
――江戸時代に妖怪文化が花開いたとのことですが、きっかけはなんだったのでしょうか?
伏見さん:妖怪ブームのきっかけは、出版技術の発展でした。木版印刷によって妖怪に関する本や浮世絵が多く出版されるようになり、人々が妖怪を身近に見ることができるようになったんです。
折しも当時は博物学ブーム。動物や植物など、自然界に関するものを研究し、新たな知識を得たいと思う人が多かったため、妖怪は知的好奇心の対象として広まっていきました。
その後江戸時代に人気があった娯楽の一つ、歌舞伎にも妖怪が登場するようになり、さらに妖怪人気が高まっていきました。歌舞伎の一場面を浮世絵師が描き、その絵を人々がこぞって買い求める……このような相乗効果でどんどんと流行っていたのです。
――妖怪が登場する歌舞伎作品はどのようなものがあったのでしょうか?
伏見さん:東海道四谷怪談や、番町皿屋敷などですね。四谷怪談のお岩さんをモチーフにして描かれた有名な絵としては、葛飾北斎の「百物語 お岩さん」があります。
――この絵は見たことがあります!怖いですが、なぜか何回も見てしまう絵ですよね。
伏見さん:多くの絵師たちは、妖怪たちをどこかユーモラスに描いているんですよね。このようにいままでは畏れていたもの、恐ろしい存在だったものが、娯楽に登場することによってだんだんと親しみをもつ存在に変わっていったのです。江戸時代は、人々の妖怪に対する認識が変わっていった時代でもありました。
――妖怪の存在は、恐怖からエンターテイメントに変化していったんですね。
伏見さん:そうですね。そして表現されることによって妖怪のイメージは固まっていきました。例えば河童。現在わたしたちは河童と聞けば緑の身体で、頭にお皿が乗った妖怪を想像しますが、もともとは日本各地で呼び名も、その姿も違う妖怪でした。それを浮世絵師が特定の姿で描いたことによって、今の河童のイメージが定着したと考えられます。
誰かの描いたものがヒットすることによって、妖怪の姿が人々の中に刷り込まれていき、名前と紐づいていく。このように様々な絵師や研究者によって、妖怪が生まれていったのです。
――江戸時代、浮世絵や読み本以外にも妖怪を身近に感じるようなものはあったのでしょうか?
伏見さん:はい、様々な妖怪をモチーフにデザインした衣服や日用品がありました。例えば着物や帯。江戸時代に大切にされていたものと言えば「粋」であり、一見地味だけれども、ちらりと見えるオシャレな部分に妖怪モチーフがあしらわれていたのです。
他にも火消しが着る刺子半纏(さしこばんてん)の内側に九尾の狐が描かれていたり、河童をモチーフにした根付(江戸時代に用いられた、ストラップのようなもの)があったりと、妖怪は暮らしの中へ広がっていきました。
――妖怪はファッションアイテムの一つでもあったのですね!とすると、妖怪に対する「畏れや敬い」などはこの時代なくなっていたのでしょうか?
伏見さん:時として妖怪は信仰の対象にもなっていました。当時は珍しいものや生き物を見ると、ご利益があると考えられていた時代。日本にはいない、象やラクダなどの珍しい生き物を見ることができれば幸福が訪れると言われていました。それと同じように、人魚や河童も日本のどこかには存在していると思われ、それらを見ることができれば、いいことがあると信じられていたんです。なのでこの時代、人魚や河童のミイラが作られ、人々の注目を集めていました。
――妖怪のミイラを作っていたのですか?!
伏見さん:そうなんです。江戸時代には「ミイラ職人」がいたんですよ。例えば人魚であれば、猿の上半身に鯉を組み合わせて作られていました。それがとても精巧だったため、当時は本物だと信じられており、お寺や神社に奉納されたり、見世物小屋で披露されたりしていました。
江戸時代、妖怪は娯楽へと変わっていきましたが、畏れがなくなったわけではありません。怖いけれど、どこが親しみもある。それが妖怪の魅力であり、今なお続く共通の感覚なのだと思います。
江戸時代から現代へ。愛され続ける妖怪たち
江戸時代から続く妖怪文化は、水木しげるの登場によってさらに広く深く、人々の中に浸透していくようになりました。今わたしたちがイメージする砂かけ婆やぬりかべ、一反木綿の姿は、すべて彼によって描き起こされたもの。過去から伝わる、でも実際にはどんな姿かイマイチわからなかった妖怪たちを、ゲゲゲの鬼太郎の世界に解き放ち、その存在を世間に知らしめたのです。
ゲゲゲの鬼太郎を筆頭とする妖怪アニメは、妖怪人間ベムに妖怪ウォッチ、夏目友人帳、地獄先生ぬ~べ~、犬夜叉など数多く存在しています。そして最近爆発的なヒットを飛ばした、鬼滅の刃。
時代は江戸時代に勝るとも劣らない妖怪ブームであり、今後新たな妖怪たちが生まれる土壌が十分に整っているとも言えるでしょう。
JBO銘柄第11弾は妖怪をテーマにしたビール「苦味百鬼夜行」
「怖さ」を楽しむ夏は、妖怪たちのピークシーズン。そんな夏にぴったりなビールとして、暗闇をそぞろ歩く妖怪たちをイメージした「苦味百鬼夜行」を醸造しました。
今回は「苦味百鬼夜行」にぴったりなホラーマンガ(くすっと笑えて、でも怖い)も同梱物にてご紹介させていただいております。苦み溢れるビールとホラーマンガ。身体の芯が冷やっと冷たくなるこれらの組み合わせで、夏の夜を少しでも快適に過ごしていただければ幸いです。
文 : ルッぱらかなえ(小林加苗)
取材協力 : 三次もののけミュージアム